本土決戦に備え霧島神宮周辺に20カ所以上の戦車壕が築かれた。空襲警報が鳴った日の帰り道、中をのぞくと兵士の死体が転がっていた。いつの間にか戦車隊はいなくなったが、ひどい食糧難で関心もなかった。

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南日本新聞

■山崎安則さん(91)霧島市霧島大窪 1945(昭和20)年春、霧島市霧島大窪の霧島神宮駅周辺に戦車…

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